多次元キネシオロジー創始者の中村典子さんによる古代エジプトワーク参加中に、デトックスと思われる悪夢をたくさん見ました。
そのうちの1つが、強烈でした。
異質で、これは通常の夢ではないと感じました。あまりにも現実的で現実感があり、夢から醒めてもその恐ろしさにしばらく呆然としました‥。
もう忘れよう、と思ってたのですが
今日見た、とある有名な医師のブログに悪夢の状況ととても似たことが書かれており、これは忘れないうちに書いておこうと思いました。
やっぱりあれはパラレルなのか、未来予想図なのか、おそらく今の日本を待ち受けている未来のパラレルではないだろうか‥(それか単なる自分の恐れか)
つまりC子とV太のことです。世間を騒がしている◯◯◯と◯◯◯◯の、英語の頭文字です。いま、色々厳しいからそういう風に書きます。
古代エジプトワークデトックス中に見た悪夢
悪夢はこんな内容でした。
暗い古い病院の建物内にいる。床は上靴がキュッキュッと鳴るような、よくある古めかしいツヤツヤした深緑色。
日赤とか県立の大きい病院。多くの人でごった返している。初売りの時のような人の多さ。
自分が何故ここにいるかというと、どうやら「ちゆう◯や」をしてもらいに来たようで、なんの「ちゆう◯や」かは夢の中ではわからない。
病棟を進んでいくと、階段の踊り場のような何もない空間の四方の壁いっぱいに、生気のない表情の人々が壁にもたれかかって立っている。みんな、ズボンと下着が脱げたままで下は何も着ていない。
自分のすぐ横に、体や手足が勝手に震えて動く状態の男の人がいて、何も喋ることができないようでぶつかりそうになる。慌てて避ける。
すると目の前に車椅子に乗った人が。体の下部は縮小して、無いようにも見える。
そう、先ほどの壁いっぱいにもたれかかっていた人々は「ちゆう◯や」をしたばかりの人たちで、足に「ちゆう◯や」をしてもらい、その後、体の下部が動かなくなって「ちゆう◯や」をするために自ら脱いだ洋服をもう2度と着れない人達だったのだ。
その時点で、自分はこれをやってはいけないと夢の中で意識が覚め、慌てて周りを見渡す。
夢の中では、足に溜まった「水け」を抜くために「ちゆう◯や」を行なっていると医師が言っていた。
(ただ、それは便宜上の名目であり、結局その目的は体の下部を麻痺させて機能を奪い、車いすを利用しなければいけない体にさせることだという真相に夢の中で気がつく。)
ごった返す病棟で、待合室の椅子には自分の番を今か今かと待つ人々。
診察室の中から医師の声がマイクで院内に放送される。「いま、偽の業者が横行しているので、待ち時間はありますが必ずこちらを利用してくださいね〜〜」ということだった(群がる人々に対し、異様なほどのんきな声)。
そういうビジネスというか金儲けをやりだす人たちが現れているとのこと。
さらに、もう人が回らないのか自ら「ちゆう◯や」を受け取って自分でやっている人達もいた。
「ちゆう◯や」に群がる人々と、壁にもたれかかり体の下部が動かずに廃人のようになっている人達、勝手に体が震えて動く喋れない人などが同じ空間にいた。
地獄絵図。
現実とリンク
この悪夢はまさにC子とV太のことですよね‥ちょっと内容は違うけど。
びっくりしたのは、今日たまたま反V太で有名な医師のブログを読んでいて、そこに書かれていたことが夢の内容と一致することでした。
その内容とは、V太をすることによって振戦(体や手足が勝手に震えたり動く)の症状が出ているケースがあったり、他の動物にも同様のことが現れていたり、最終的に体が動かなくなってこの世とお別れをしたケースもあったとのことでした。
そういったことは全く知らなかったので、悪夢の内容とリンクしていて驚きました。
悪夢自体はもう忘れようと思っていたけど、この現実に目を向けた方がいいなと思い直しました。
C子やV太の正しい知識を収集して身に付けたり、あと一番は、自分は一体「何を」恐れているのか。
やっぱり、この手の情報は集めているとどんどん気持ちが落ちてしまい、もう見ない方が自分は楽なんですが、それはやっぱり目を背けているだけなのかもしれませんね。
正しい知識を得て、現状を把握してもニュートラルでいれることが大切なのかもしれません。
わからないけど、私は自分がそういう風に存在することができたらとても楽だし、そんな自分を想像するととても安心します。
C子とV太に対する恐れ
デトックス中に見たこの悪夢は、単に自分の中にある、C子とV太に対する恐れによるものかもしれません。確かに恐怖心はあります。今後の日本や将来についても。
デトックスにより恐怖心が上がってきて、こんな悪夢を見せたのでしょうか。
それにしても、かなり具体的でリアルな描写でした。
本当にどこかでこういうことが起こっているようにも思えるし、いずれV太をした人たちの体に、この夢のような変異が沢山起きるかもしれない。そうなった時、社会は混沌に陥る可能性がある。
いずれにしてもわかったのは、自分の中にある「恐怖」でした。