自分の心が弱っているとき、家族によってインナーチャイルドが刺激され、古傷が疼く(うずく)ときがある。
実家への帰省時はいつも2〜3週間ほど滞在するのだけど、先日実家へ滞在した際はインナーチャイルドの怒りが激しくて、そこにいるのが辛かった。
でもその分、客観的かつ冷静にインナーチャイルドを見つめることができたと思う。
私ってこんなに深く、こんなに長い間、傷ついていたんだなと。
どうやら最近霊視のセッションでインナーチャイルドを指摘され、知らず知らずのうちにそこを見つめていたせいか、現実世界でもその問題がリアルに浮かび上がってきたようだ。
おかげで、深い泥の中に沈んでいたインナーチャイルドの傷つきをそこから取り出し、真水で洗い、その姿形をクッキリと認識することができた。
自分を守ってくれない父親との確執
父は、私の母親の言いなりというわけではないんだけど、私の母に対して自己犠牲ぎみだ。
強い母。すぐにヒステリーを起こす。母の気分1つで家庭はまわっている。
だから父は、母の気分を害さなければすべて穏便にいくと思っているのだろう。
「私のインナーチャイルドが深く傷ついた」、と覚えてるのはこんなこと。

中高生の頃、反抗期で家庭不和だった私はよく母を激昂させた。
母は、
「あんたなんか産まなきゃ良かった。あんたが勝手に産まれてきた。」
「お父さんはあんたが嫌いよ。あんたがいると、すぐに違う部屋に行くでしょ。」
とよく言った。
父はその場にいて聞こえているはずなのに、否定せず、母に注意もせず、私を庇いもしなかった、と記憶している。
父が否定してくれなかった事に、とても傷ついた。
その後、大人になっても内容は変われど、父とは同じようなことを何度も繰り返した。
明らかに母が道徳的に誤っているのに対し、
「しょうがないんだ。もうお母さんに色々言うな。我慢しろ。お父さんはお母さんの夫だから味方にならないといけない。あんたが諦めなさい。」
と言われた。
なるほど、
父は、世の中正しいことが必ずしも正義ではない、と教えてくれたんだ(皮肉)。
父は家庭や他を守るために自己犠牲をし、それを娘の私にも強要した。
実家は母親の城。だから居心地が悪かったんだ。
いつも自分が邪魔者扱いされているような感じ‥
最近、霊視セッションで「自己犠牲心がある」と指摘された。その重なりが、オーラに暗い影を与えてると。
実はそれ、7年ほど前にも別のヒーラーさんにも指摘された。
なるほどな、そんなに根深いものだったんだ。自分では、自己犠牲心が己と一体化し過ぎてその存在にも気づいていなかった。
私は父の姿を見て、インナーチャイルドが深く傷つくと共に、自部自身にも自己犠牲感をじんわりと染み込ませていったんだな。
私はやっとそのことに気づくことができた。
「私は知〜りません、あんた達のせいで私の寿命を減らすなんて損。勝手にやってちょうだいな。」な母と妹
これが昔からの母のスタイルだ。
小学生の頃から、友達関係で辛いことや悩みを母に相談するといつも親身にはなってくれず、最終的には「あんたの愚痴ばっかり聞かされてストレスたまるわ!も〜知らない!これ以上言わないで!」と怒られた。
これが大人か?母親のすることか?と思った。
母と喧嘩すると朝から夜までこちらが話しかけても無視。
でも、学校に持って行く弁当は朝ちゃんと作ってテーブルの上に無言で置いてる。
持たずに登校しようとすると父から「持っていきなさい。」と声をかけられる。
断ると、「いいから!」と怒った顔をされて無理やり持たされた。
すごく嫌だった。
母は今も変わらない。父も。
母は今も「もう知らないわ。私には関係ない。私には私の人生があるから好きになさい。」と吐き捨てる。
それが強さだと思っている。
それが人生をうまく運ぶ賢い術だと思っているようだ。遮断することを。
今では、妹が全く同じような大人になっている。
母は時折ぼやく。妹のことを「冷たい、家族に対して。そんくらい自分でしなさいよ、って突き放される。」と。私も、妹に対し全く同じように思う。
ただ、今はこう思う。母とおんなじだと。
母は、ある意味で自分の鏡である妹の姿を見て文句を言っているのだ。
時折、自分が子供に対して昔の母のように振る舞っていて怖い
新しく家庭を作った私は、時々、私自身に母の姿を垣間見る。
子供の頃、母に言われて嫌だった言葉や振る舞いを自分の子供にしてしまっている。
嫌だ。
自己犠牲することが家庭の平和を守ると信じている父親と、自分にとって負担になることは向き合わず突き放す母親(それが強さ、しなやかさだと勘違いしている)。
それもこれももう、いいんだ。
昔両親から言われた傷つく言葉も、振る舞いも、大人になってからも更に傷ついたことも。
もう、私は大人だ。
あの頃のように無力な子供とは違う。
私が私を守っていいのだ。
私が私自身に「産まれてきてよかった」、「私はここにいていいんだ」と許していいんだ。