亡くなった人の声が聞こえることは、普通はあり得ません。
特別、霊の姿が見えたり霊と会話することのできないわたしは、以前までそう信じていました。
亡くなった祖母の声がくっきりはっきり聞こえるまでは‥。
祖母は生前、毎日仏壇に向かってお経を唱えるのが日課だったそうです。
そんな祖母が亡くなったのはもう10年以上前のことですが、今年のお盆に法要があり、祖母との不思議なエピソードを思い出しました。
亡くなった人の声が聞こえる
祖母が亡くなった時、お葬式は祖母の自宅で家族のみで行われました。
祖母の意向だったためです。ささやかで心のこもったお葬式だったと思います。
馴染みのお坊さんが家に来てお経を唱え始めたとき‥
わたしは、お坊さんの声に重なって女の人の高らかとお経を唱える声が聞こえました。
それはまるで歌うかのような声で、声量はお坊さんの声と同じくらいでした(つまりデカい声)。
お坊さんのお経と唱える声と女の人の唱える声で、二重合唱状態です。
その声はわたしの隣に座っている母のあたりから聞こえてくるので、「ちょっとお母さん、すごいな(笑)」と不謹慎にもびっくりしたものです。
母は普段、モゴモゴと聞こえるか聞こえないくらいの声でお経を唱える人でした。わたしを含め、たいていの参列者の方がそうだと思います。
亡くなったのは母方の祖母だったので、母は感情が込み上げているのだろうなぁ‥とその時は呑気に思っていました。
女の人のお経を唱える声はお坊さんのお経が終わる最後の一声まで、ずっとピタリと重なって聞こえました。
その後、母に「大きい声でお経唱えてたやろ?」と言ったところ母はとても驚いた顔をして、首を横に振りました。
次に驚くのはわたしの番でした。
「えっ‥じゃあずっと女の人の声がお坊さんのお経に重なって聞こえてなかった??」と母や周囲の家族に聞くと、誰1人とその声を聞いた人はいなかったのです。
その後、お坊さんと「たまに不思議なことがあるんですよね。」と談笑の上、お葬式はひっそりと終わりました。
母から「祖母はいつも高い声で毎日お経をあげるのが日課だった」と聞き、あの声は祖母だったのだと確信しました。
祖母は、最後に母の隣に座っていたのかもしれません。
きっとそうです。そして、お経を唱えてもらって嬉しかったのでしょう。だって、とても高らかと清らかな声でしたから。
一番不思議なのは、亡くなった祖母の声がまるで生きている人達と全く同じような声や音で聞こえたことです。
わたしは今でも本当に不思議に思います。
法要での不思議体験
今年の夏に法要があり「また亡くなった祖母の声は聞こえるだろうか?」と思いましたが、意識してお経を唱えている最中は聞こえませんでした。
途中、娘が「のど乾いた」と言い出して退席してお茶を飲ませていたところ‥一瞬ふいに祖母のお経を唱える高い声が聞こえたような気がしました。
あれ?と思った瞬間、もとの空間(ボソボソとお経を唱える家族たち‥)に戻りました。
もしかしたら気のせいかもしれないなと思いましたが、たいていの場合、こういうことは勘違いではないものです。
亡くなった人の声が聞こえる/人は死んでも無にならないからこそ今を大切に生きる:まとめ
人は死んだら「無」になるというのが、一般的で常識的な考え方かもしれません。
それゆえに、人は死ぬまでに心残りがないようにとか、何かを遺したい(残したい)と願うものですよね。
わたしもそう思っていましたが、この時20歳そこらだったと思いますが、世の中にはどうしても科学的に説明のつかないことがあり、そして人は肉体が死んでも意識は存在するのだと初めて実感しました。
人は死んでも無にはなりません‥。
もともと今の魂も、ほとんどの人が何度も死んで生まれ変わった(転生した)魂であることが多いですよね。わたしもそうですが。
だからこそ、この1度限りの今生の魂を「使い切る」つもりで、たくさん喜びや愛の体験をしたり、今生限りの自分の姿形や生い立ちを愛して、今生限りの出会う人たち(過去生で出会っていても今生は1回限り)とたくさん喜びを感じて慈しみたいと思います。
祖母は生前いつもわたしに「感謝が足りない」と言っていたこともあり、「今に感謝して今を愛しなさい、大切にしなさい」と教えてくれたような気がしてなりません。